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★これ程エモーショナルな感慨を与えられた興行は久しく記憶に無い。

昨夜、我々は是も非も酸いも甘いも、薬も毒も混在するヘビーでパンクなカオス・カルチャーの権化こそは

【新日本プロレス】

である事を、改めてまざまざと思い知らされるに至ったのである。



G1 CLIMAX自体の総評感想は別の機会に譲る事として、昨夜この興行を目の当たりにしたプロレスファン達は、新日本プロレスに一体何を見出し腑に落としたろうか?



図らずも先日、筆者は極一部で囁かれ待望されている“原点回帰論”に関して言及した。

世界標準化を目指し、WWE化に邁進する新日本に対する一種のアンチテーゼ的意見は今に始まった事ではない。

だが、これがファンからの明確な意思表示…観客動員数激減…ともなれば話は別である。

現に昨夜、G1ファイナルという特別な興行でさえ空席が目立っていた、という誤魔化しようのない証拠がそこにあった。




そしてこれは懐古主義的論点では決してない。

古きは新しきであり、時代の要望はカウンターとして世に放たれるのが常ならば、

ガラガラの客席というこの上ないファンからのアンサーを突きつけられた新日本側が、ある種の方向転換を余儀なくされた事は想像に難くない。








新日本プロレスの創業理念は

【世間の偏見と闘う】事にあった。

創始者アントニオ猪木の、プロレスラーならではの劣等感から来る激しい反逆の美意識は、そのまま新日本プロレスの団体哲学でもあった。


海外ではWWEとUFCを同列に語る人間はいない。

しかし日本、いや新日本プロレスファンは、プロレスとPRIDEを同列に捉える事の出来る極めて特殊な思考回路を持っている。


エンターテインメントである筈のプロレスに、強さの競い合いと闘いの緊張感を求めて、勝負論の重要性を根底に抱く

この歪な倒錯の感受性こそが日本のプロレス、ひいては新日本プロレスを謳う“ストロング・スタイル”の響きの一つの意味合いであったと思うのだ。







筆者は昨夜の事柄の彼是から、新日本プロレスが緩やかに創業理念の一端を取り戻そうとする意向を見て取った。

それはもしや筆者の勘違いかも知れないが、確かに選手達から“原点回帰”への意志を感じたのだ。


このSNS全盛時代、我々ファンの意見は間違いなく選手側へ伝わっている筈だ。

団体側の運営手法とファン側からの絶え間ない不平不満の狭間、選手達の幾人かは、表現者として言い知れない鬱憤を抱えていたに違いないのだ。







昨夜、闘いのリアリティーを蘇らせる原点回帰への匂い、筆者としては三点ピックアップする事が出来る


①石井智宏とSHOの再会、宿命の“兄弟”対決へ


②柴田勝頼出現、プロレスリングのアイデンティティ


③オカダ・カズチカの孤高ぶりと、IWGP発言







・意図せぬ(?)異動を経て『マーダーマシン』なるギミックキャラを与えられたSHOだが、石井智宏と対峙する時だけは完全に素の『田中翔』へ戻っていた。

後藤洋央紀達と相対する際には任務であるキャラクタを演じていた様に見えるSHOは、石井智宏にだけはギミックを放棄している様だったのだ。

この隠しようのない“内なる本当の感情”こそが、我々ファンを熱くする。

演技の上での振る舞いなのか、リアルな心情からの高揚なのか、プロレスのリングでは全てが曝け出される。
リング上では、我々ファンに何も隠せないのだ。

石井智宏への熱い思い入れを全く隠せず感情を顕にしたSHOの、このリアルな内面表現こそ、我々ファンに訴え得るものなのだ。




・柴田勝頼☓ザック・セイバーJrに関しては、もうこれだけで二本はコラムれそうなので手短にしておきたい。

恐らく筆者の様な古参、又はマニアは、柴田勝頼を介した明らかな新日本プロレスからのメッセージと捉える事が出来た筈だ。

昨今の“ドームシティのヒーローショー”と揶揄されるIWGP戦線とは比べ物にならない、強烈な程に示されたレスリングの緊張感と闘いのリアリティー

それを可能とする柴田勝頼とザックの、リアルな技術力と素晴らしい表現力

きっとこれは創業理念である【世間の偏見との闘い】に打って出られる、その為の最高級の武器を保持している事の証明宣言ではなかったか。







・飯伏幸太大事故により、前代未聞の終幕となった優勝決定戦。

不測の大事故にも揺るがずそびえ立つオカダ・カズチカの、何と頼もしい事か。

そして驚きは、この旗艦たるレインメーカーからも“原点回帰”を示唆する発言が放たれた事であった。

旧IWGPヘビー級ベルトの復活…
公式より一旦抹消されたIWGPの、その歴史復元に挑むのか。

大論争を巻き起こし、更にファン離れを加速させたIWGP世界ヘビー創設を否定してきたオカダ・カズチカの、原点回帰への大いなる問いかけがあの発言には内在している気がしてならないのだ。

団体内最上格でありながら、昨年から運営側へ問題提起を厭わなかったオカダ・カズチカが、遂に実力行使に打って出る嚆矢なのかも知れない。

















★あまりにも、あまりにも収穫ありだ。


この収穫を現地観戦にて得られた事は、あまりにも幸運である。







仕事であるギミックキャラクターの枠を打ち破り、石井智宏にだけ曝け出した、SHOの“内なる感情の爆発力”


“世間の偏見と闘う”為に磨かれた、柴田勝頼という存在の圧倒的存在感と強さのリアリティー


“歴史遺産復権”か“問題提起”か、G1覇者オカダ・カズチカが問いかけるイデオロギーの在処



重要項目のみ抜粋すると



内なる感情の爆発力


世間の偏見との闘い


歴史的遺産


問題提起



この要素が、時にエグたらしく激しく激しく絡み合い生まれてきた刹那のエモーションこそ、新日本プロレスの歴史と真骨頂ではなかっただろうか?



筆者の目が節穴である事は周知の事実だとしても、昨夜のあのリングで表現されたのは

“原点回帰への意志”

に他ならなかったのではないか?








そして我々は改めて思い知る。


プロレスのリングには、悪魔と天使が共存している事を。


選手達の首には、死神の鎌が常に構えられている事を。


俺は飯伏幸太に、お疲れ、と言いたい。


内藤哲也にもタイチにも、お疲れ、と言いたい。


死神の鎌を寸前でかわした彼等を心より労いたい。


俺達はいつまでも待っている。




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